メルボルンで所持金10ドルにまで追い詰められた1か月サバイバル記録

「ワーホリでお金がなくなったとき、一体どうすればいいのか?」

私は2018年、オーストラリアのメルボルンで所持金がわずか10ドル(約1000円)まで追い詰められました。シェアハウスの廊下で寝かされ、1日1食のパスタ生活。銀行残高を1日2回チェックし、スーパーのレジで「寿命が縮む」思いを味わう絶望的な日々でした。

でも、追い詰められた経験があったからこそ、ワーホリで本当に困ったときの乗り越え方がわかりました。本記事では、所持金10ドルから魚の卸会社での安定収入を得るまでの1か月間のサバイバル記録を、包み隠さず詳細にお伝えします。廊下生活の実態や1日3ドルの食費で生き延びる方法、絶望的な状況でも諦めなかった理由もお話します。

ワーホリにおける危険信号のチェックリストも作成しました。現在お金に困っている人や、これからワーホリに行く人は、ぜひ最後までご覧ください。

【重要】
本記事は筆者の個人的な体験談であり、金融アドバイスや生活指導ではありません。ワーホリ中の資金管理や緊急時対応については、専門家や各国の公式機関にご相談ください。

なぜ私が29歳で公務員を辞めてワーホリに挑戦したのかや、オーストラリアでの失敗に至った経緯については、下記の記事をご覧ください。

プロフィール:私がメルボルンで所持金10ドルになった理由

目次

第1週:シェアハウスの廊下生活(所持金:約500ドル→345ドル)

シェアハウスでの廊下生活の日々について、下記の6点をお話します。

  • 廊下で寝かされた初日
  • 国籍による扱いの違い
  • 1日5ドルの食費の日々
  • ファームの仕事は週3日、1日3時間だけ
  • やることがない4日間の地獄
  • 「このままではヤバい」という危機感

廊下で寝かされた初日

ブリスベンからメルボルンに移住してから住まわせてもらったシェアハウスは、過酷な環境でした。

韓国人オーナー

すみません、部屋はもう満室なので、廊下で寝てもらえますか?

韓国人のオーナーから告げられたとき、私は耳を疑いました。廊下で寝る?シェアハウスで?でも、他に選択肢がなかった私は、提案を受け入れるしかありません。廊下は決して広くありませんでした。硬い木の床に毛布を敷いて、私を含む3人の日本人が並んで横になります。街灯もない田舎のエリアだったので、夜になると廊下は真っ暗でした。

初日の夜、私は硬い床に横になりながら、後悔しました。ワーホリビザの期限を延ばすために、88日間のファーム労働を申請。でも、廊下に追いやられる日々を送るとは思いませんでした。

国籍による扱いの違い

  • 「まじでこんなところで寝るのかよ…」
  • 「韓国人ばっかり優遇されてない?」
  • 「ファームに来るんじゃなかった」

同じ廊下で寝る日本人同士、愚痴が自然と出てきました。韓国人5人は全員部屋に寝ていて、日本人だけが廊下に追いやられている状況。シュラフ(寝袋)は貸してもらいましたが、硬い床と慣れない環境で、なかなか寝付けません。足音が響くたびに目が覚めて、「本当に大丈夫なのか?」という不安が頭をよぎりました。

救いだったのは、日本語が話せる韓国人が1人いて、仕事の手配をしてもらえたことです。しかし、劣悪な住環境のなか、あまり良い印象は持てませんでした。週80ドルという宿泊費は安く感じていましたが、環境を考えると決して良くはなかったです。

1日5ドルの食費の日々

夕方になると、私はシェアハウスのキッチンに向かいました。キッチンで作るのは、いつも同じパスタ料理。ファームからの帰り道、必ずスーパーに寄って買い物をしました。カートを持ちながら、私はパスタや玉ねぎ、人参、少しの鶏肉を購入。レジで会計するたびに、「生活していけるのかなぁ」という不安が心をよぎります。

1日5ドルという予算は、想像以上に厳しいものでした。キッチンでは1人、黙々と料理をしました。玉ねぎと人参、少しの鶏肉を炒めてパスタを作る。朝は簡単なサンドイッチをタッパーに入れて、ファームに持参していました。1日2食の生活で、何とか空腹にならずに済んでいましたが、体力的にはギリギリです。

ファームの仕事は週3日、1日3時間だけ

ファーム労働は週3日、1日3時間程度しかありませんでした。シーズンオフだったのか、思っていたような安定した収入は得られません。基本は朝5時に起きて、韓国人が運転する車に乗せてもらってファームに向かいました。7~10時までファームで働き、帰りにスーパーで食材を買って帰る日々。ファームで勤務する日はまだ良かったです。

問題は、ファームがない残りの4日間。質素な食事をしながら、「この先どうなるんだろう」という不安が、毎日少しずつ大きくなっていくのを感じました。

やることがない4日間の地獄

ファームがない4日間は、やることがありません。日中の大部分は廊下で過ごしました。韓国人の住人たちに気を遣いながら、自分がお邪魔している立場だということを意識する日々。唯一の気晴らしは散歩でした。シェアハウス周辺の林を歩き回りながら、スマホで仕事を探したり、Facebookに辛い状況を書き込んだりする日々。

徒歩圏内には図書館も公園もなく、お金をかけずに時間を過ごせる場所がなかったのです。暇すぎて辛い、というのが正直な気持ちでした。ファームの仕事が少なくてお金が入らないうえに、やることもない。日本にいる家族や友人のことを思い出しては、「日本に帰りたい」という気持ちが膨らみました。

「このままではヤバい」という危機感

5~22時までどう過ごすかも課題でした。お金がないから娯楽もないし、居場所もない。本格的に「このままではヤバい」という危機感が芽生え始めていました。週3日、1日3時間のファーム労働では、週80ドルの宿泊費すらまともに払えません。このままでは、所持金はあっという間に底をつく。生活の危機を感じた私は、次の手を考え始めていました。

なぜブリスベンとメルボルンのファームで週60ドル以上の赤字を出したのか、17日間の詳細な収支記録は、下記の記事をご覧ください。

オーストラリアのファームで後悔しない5つのポイント【ブリスベン→メルボルン完全記録】

第2週:バックパッカー生活開始(所持金:345ドル→190ドル)

バックパッカーに移り住んだ話について、下記の5点をお話します。

  • 「このままではまずい」という確信
  • 週130ドル:宿泊費が跳ね上がった現実
  • 廊下からベッドへ:人間らしい環境
  • 1日3ドルの食費:電卓片手の買い物
  • 1日1食のパスタ生活

「このままではまずい」という確信

シェアハウスでの生活を続けていくうちに、私の中で確信が生まれていました。

筆者

このままではまずい。

ファームでの収入は週3日で1日3時間程度しかなく、支出の方が多い状況でした。廊下で寝ながら毎晩計算していましたが、どう考えても生活が成り立ちません。「何としてでもファームを出ないと生活できない」という切迫感が、日に日に強まりました。

決断した私は、Googleマップで評判の良さそうなバックパッカーを探し、逃げ出すように移動しました。

週130ドル:宿泊費が倍になった現実

メルボルン市内のバックパッカーホステルに到着し、フロントで料金を確認します。

バックパッカー

1週間で130ドルです。

シェアハウスの80ドルと比べて、なかなかの金額でした。所持金を考えると、130ドルは大きな出費でしたが、もうがむしゃら。いち早く新しい収入源を得ようと必死だったのです。資金減少のペースが加速しましたが、「まともな環境で仕事を探す方が良い」と自分に言い聞かせました。

初日の夜、私は「何としてでも仕事先を見つけるぞ」と、心に誓いました。

廊下からベッドへ:人間らしい環境

バックパッカーの環境は、シェアハウスと比べて全然マシです。12人の相部屋でしたがベッドがあり、清潔で居心地は良かったです。ベッドにはプライバシーを保てるカーテンの仕切りもあり、廊下で雑魚寝していたときとは雲泥の差でした。キッチンやシャワーも清潔で、他の宿泊者は欧米系の人が多かったです。

チェックインしたときは、正直安心しました。やっと人間らしい場所で眠れる。でも同時に、130ドルという現実が重くのしかかっていました。

1日3ドルの食費:電卓片手の買い物

バックパッカーに移ってからは、食生活はさらに厳しくなりました。宿泊費が週130ドルに跳ね上がった分、食費を削らないといけなかったのです。1日の食費を3ドル程度に抑えるため、私は最低限の食材しか買えませんでした。スーパーで買い物をするときは、電卓を片手に持っているような気分です。

野菜1つ手に取るにも、値札を確認して、今日の予算内に収まるかを計算していました。他の買い物客が当たり前のように商品を入れるのを見ると、「普通に買い物できるっていいなあ」と羨ましく思いました。

1日1食のパスタ生活

パスタや玉ねぎに人参、少しの鶏肉で1日1食を賄う生活が続きました。バックパッカーのキッチンは清潔で調理器具も揃っていました。同じようなパスタを作り、最低限の栄養を取りましたが、量的には足りません。「今は我慢のときだ」と言い聞かせながら、踏ん張っていました。

仕事探しのために街中を歩き回る体力を、1日1食で維持するのは簡単ではありません。空腹を感じながらも、「仕事さえ見つかれば、この生活から抜け出せる」と自分を励まし続けました。

第3週:求職活動と絶望(所持金:190ドル→10ドル)

メルボルンで求職活動をしていた状況について、下記の5点をお話します。

  • 1日8時間の「生きるか死ぬか」の求職活動
  • 1日2回の銀行残高チェックが習慣に
  • スーパーのレジで寿命が縮む思い
  • 他人の楽しそうな姿へのうらやましさ
  • Facebookに辛い状況を書き込む日々

1日8時間の「生きるか死ぬか」の求職活動

バックパッカーに移ってからの日課は、朝から晩まで仕事探しでした。1日8時間、文字通り「生きるか死ぬか」の求職活動を始めたのです。日豪プレスやIndeedで、カフェやバー、魚の卸会社など経験がなくても応募できそうな職種を探し、トータルで10件ほど応募しました。

面接のための交通費は痛い出費でしたが、「面接の機会を得られただけでも前進だ」と自分を鼓舞。日本に帰ることも頭をよぎりましたが、「帰るためにもお金を貯めないと!」と考えていました。8時間の求職活動の日々はハードでしたが、光が見えてきた瞬間でもあります。

1日2回の銀行残高チェックが習慣に

バックパッカーでの生活が始まってから、新しい習慣が生まれました。1日2回、銀行残高を確認することです。買い物後は必ずチェックしていました。バックパッカーの憩いのスペースで、スマホを開いて銀行のアプリを確認する。銀行残高の数字が、容赦なく私の心を締め付けました。宿泊費と交通費を支払った時点で、残高は10ドルほどに。

もはやお小遣いレベルの金額です。日本への帰国費用として10万円は貯めないといけないと考えていた私にとって、10ドルという数字は絶望的でした。家族からの送金も期待できないので、自分でなんとかするしかありません。

スーパーのレジで寿命が縮む思い

スーパーで3ドルの食材を手に取るたびに、寿命が縮むような気持ちに。レジで支払いを済ませた後、銀行残高を確認して、現実を突きつけられる毎日でした。「オーストラリアで死んでしまうんじゃないか」と感じていました。所持金が尽きたら、路上で生活することになるのか。極限の恐怖が、常に頭の中を支配していました。

3ドルの買い物ひとつで、残高がさらに減っていく。追い詰められる恐怖は、経験した人にしか分からないでしょう。

他人の楽しそうな姿へのうらやましさ

バックパッカーの憩いのスペースでは、他の宿泊者たちが映画を見たり、チェスを楽しんだりしていました。楽しんでいる光景を見るたびに、「ニュージーランドにいたときは楽しかったのにな」と思い出しました。同じバックパッカーに泊まっているのに、彼らと私では状況が全く違う。彼らには余裕があり、私には余裕がない。

余裕のない現実が、心に重くのしかかりました。自分だけが取り残されているような感覚です。

Facebookに辛い状況を書き込む日々

不安になったとき、私がやっていたのはFacebookへの投稿でした。今の辛い状況を正直に書き込んで、気持ちの整理をしたのです。誰かに読んでもらえるかは分からないけれど、自分の気持ちを言葉にすることで心が軽くなりました。でも、根本的な問題は変わりません。

所持金が減り続ける恐怖から逃れるには、一刻も早く働き始めるしかありませんでした。投稿を終えた後、また求人サイトを開く日々を送りました。

第4週:転機と生還(所持金:10ドル→610ドル→安定収入)

10ドルまで追い詰められたときについて、下記の4点をお話します。

  • 魚の卸会社から採用通知
  • 初日の朝:夜12時に起きて1時間30分の通勤
  • 市場での初仕事:魚の匂いと新しい世界
  • 勇気を出して600ドルの前借り交渉

魚の卸会社から採用通知

バックパッカーの憩いのスペースで銀行残高を確認していたときでした。スマホが鳴ったのです。

魚の卸業者

もしもし、魚の卸会社の○○と申します。先日は面接にお越しいただき、ありがとうございました

心臓が止まりそうになりました。求職先から連絡が来たのです。

魚の卸業者

採用させていただきたいと思います。明日からでも働いていただけるでしょうか?

合格の連絡がきた瞬間、安堵で体中の力が抜けました。「本当に助かった」。声に出しそうになるのを必死でこらえました。朝3時に出勤して、市場で魚をトラックに詰め込み、会社に運んでから魚をさばく職人さんに渡すのが仕事です。サーモンの箱詰めなども行う仕事でしたが、確実に週6日働けるのは嬉しかったです。

初日の朝:夜12時に起きて1時間30分の通勤

初日の朝は本当にきつかったです。朝3時出勤ということは、バスが動いていません。夜12時に起きてバックパッカーから1時間30分歩いて職場に向かいました。「どうなるんだろう」という緊張感でいっぱいです。真夜中のメルボルンは静かで、街灯だけが道を照らしていました。歩きながら「これで生活が変わる」と自分に言い聞かせました。

ようやく光が見えてきたと感じながら歩き続けたのを覚えてます。

市場での初仕事:魚の匂いと新しい世界

市場での作業は想像以上に大変でした。大きなマグロをトラックに入れたり、トラックを所定の場所に移動させたり。魚の匂いが充満していましたが、見慣れない光景に興奮していたのも覚えています。同僚の人たちは個性豊かでした。60代のやさしそうな上司や40代のヤンキーっぽい人、話したがらない30代後半の先輩と年下の大学生の子。

1日働き終えた後は「疲れた〜!けど頑張れた!」という達成感でいっぱいでした。

勇気を出して600ドルの前借り交渉

初日勤務後は勇気を出して、会社に事情を説明しました。

筆者

実は所持金がほとんどなくて、生活が困っています。1週間分の給料を前借りさせていただくことは可能でしょうか?

恥ずかしい気持ちもありましたが、背に腹は代えられません。幸い、会社の人は理解を示してくれて、1週間分の600ドルの前借りが認められました。お金を受け取った瞬間、「助かった」と心の底から思いました。

私が1か月のサバイバル生活で痛感したこと

私が1か月のサバイバル生活で痛感したことについて、下記の5点をお話します。

  • ニュージーランドの成功体験が生んだ油断
  • メルボルン到着時500ドルは資金不足
  • 緊急時の資金調達方法のリサーチ不足
  • 資金管理で重要な3つのポイント
  • 複数の情報源から判断することの重要性

ニュージーランドの成功体験が生んだ油断

今振り返ると、私の収支計画は楽観的すぎました。月収20万円以上という見積もりは、ニュージーランドでの成功体験をオーストラリアに当てはめた、甘い計算です。ニュージーランドでは週5日働いて手取りで週500ドル程度稼げていました。「オーストラリアでも同じだろう」と思い込んでいたのです。

最悪の場合のシナリオを、私は考えていませんでした。「もし仕事が見つからなかったら?」不安な想像をしたくなかったのかもしれません。

メルボルン到着時500ドルは資金不足

メルボルン到着時に約6万円(500ドル)程度しか持っていなかったのも、明らかに資金不足でした。安定した収入源がなければ、結局は不安に陥っていたでしょう。大切なのは金額よりも、「安心できる環境にいるかどうか」でした。当時の私には、明確な危険信号の基準がありませんでした。

「安心できる環境にいない」と感じた時点で、危険信号だと判断すべきだったのです。廊下で寝かされた時点で、すでに赤信号。あの時点で別の選択をすべきでした。

緊急時の資金調達方法のリサーチ不足

緊急時の資金調達方法も、事前に考えておくべきでした。家族からの送金ルートやクレジットカードの海外キャッシング機能などを調べておけば、万が一のときに安心です。ワーホリに行く人には、最低でも3か月間は何もしなくても生活できるだけの資金を用意してほしいです。3か月あれば現地の状況を把握して、必要に応じて方向転換もできます。

私は海外キャッシング機能を契約していなかったため、所持金10ドルになったときATMで現金を引き出せませんでした。失敗から学んだ教訓については、下記の記事で詳しく解説しています。

【ワーホリ渡航前は必見】VISAカードの海外キャッシングが必要な話

資金管理で重要な3つのポイント

資金管理で最も重要なポイントは、下記の3点です。

  1. 収入源を確保できるか
  2. 宿泊費などの固定費が高すぎないか
  3. 自炊できる環境にいられるかどうか

3点のうち1つでも崩れると、生活しづらくなります。私の場合、収入源が不安定で、宿泊費も予想以上にかかりました。自炊はできましたが、食費を削りすぎて体力が持ちませんでした。

複数の情報源から判断することの重要性

私のような失敗をしないためには、複数の情報源から判断することが大切です。1つのサイトや体験談だけを信じて行動するのは、リスクが高すぎます。当時の私は、クレジットカードの海外キャッシング機能についても調べていませんでした。クレジットカードについては渡航前に調べて契約しておくべきでした。

現金がなくなったときの最後の砦になるからです。過去の自分に一番伝えたいのは、「楽観的すぎる計画は、現実に打ち砕かれる」ということです。

私がファーム労働について知らなすぎたこと

私がファーム労働で知るべきだったことについて、下記の4点をお話します。

  • 日豪プレスだけを信じた致命的なミス
  • ブリスベンで聞いた日本人女性の警告
  • 現地に行ってから知った厳しい現実
  • 事前に収集すべきだった情報

日豪プレスだけを信じた致命的なミス

今振り返ると、私の情報収集は不足していました。当時の私は、日豪プレスの求人情報しか見ていなかったのです。ネットの体験談やブログなども読んでいなかったのが間違いです。ニュージーランドでの成功体験も、私を油断させていました。ニュージーランドでお世話になったファームは最低時給が保証されていました。

オーストラリアとニュージーランドは地理的に近いため、「同じなのかな」と安心しきって応募していたのです。ファームの実態を事前に知っていたら、絶対に応募しなかったでしょう。

ブリスベンで聞いた日本人女性の警告

一番ショックだったのは、ブリスベンで偶然すれ違った日本人女性からの言葉でした。

忠告する女性

気をつけて。ここは中国人や韓国人ばっかりで劣悪な環境だから。

日本人女性は、すでに他の場所に移り住もうとしているところでした。私がこれから向かおうとしている環境から、必死に脱出しようとしている人がいる。現実を知ったときの衝撃は忘れられません。でも、ブリスベンにきたばかりの私には、引き返す選択肢がありませんでした。

現地に行ってから知った厳しい現実

廊下で雑魚寝をするような環境についても、韓国人が優遇される環境についても、日豪プレスだけでは知る由がありません。歩合制で最低時給の保証がないことも、シーズンオフで週3日3時間しか働けないことも、すべて現地に行ってから知った現実です。シーズンオフの影響については、漠然としか考えていませんでした。

「シーズンオフでも何かしら仕事はあるだろう」という楽観的な考えでした。事前にリサーチをしていれば、時期を選んで応募することもできたでしょう。情報不足が、すべての失敗の始まりです。

事前に収集すべきだった情報

事前にリサーチするべきだったのは、現地に実際に行った人のブログや体験談です。留学エージェントはすべてを教えてくれるわけではありません。成功談だけでなく、失敗談や辛い体験談にも、価値のある情報が隠れています。むしろ失敗談の方が、これからワーホリに行く人には役立ちます。

私のような失敗をしないために、複数の情報源を確認してください。

絶望的な状況でも諦めずに済んだ理由

絶望的な状況でも諦めずに済んだ理由について、下記の3点をお話します。

  • 絶対に日本に帰ってやるという気持ち
  • Facebookでつながっていた人たちの支え
  • 小さな改善を積み重ね

絶対に日本に帰ってやるという気持ち

所持金10ドルという極限状態の中で、私の心を支えていたのは強い意志でした。「絶対に日本に帰ってやる」。強い決意が、どんなに苦しい状況でも行動を続ける原動力になっていました。弱気になりそうなときは、心の中で何度も繰り返しました。諦めたら終わり。諦めなければ、必ず道は開ける。道が開けることを信じて、毎日求職活動を続けました。

Facebookでつながっていた人たちの支え

Facebookでつながっていた人たちも、大きな支えでした。辛い状況を正直に投稿すると、反応やコメントをもらえて、「1人じゃないんだ」と感じられます。直接会ったことがない人からの励ましでも、心に響きました。孤独を感じたとき、スマホを開いて投稿する。文章にするだけで少し楽になれました。

小さな改善の積み重ね

バックパッカーに移ったことで環境が改善されたのも、精神的な支えになりました。廊下での雑魚寝から、ベッドで眠れるようになった小さな変化が、希望を与えてくれます。「少しずつでも前に進んでいる」と実感できることが大切です。環境が少し良くなるだけで、心の余裕も生まれます。

小さな改善の積み重ねが、最終的に大きな変化につながりました。

ワーホリ中の危険信号チェックリスト

私の1か月間のサバイバル体験から考えられる、危険信号チェックリストをまとめました。1つでも当てはまったら、対策を考えてください。

資金面の危険信号

  • 週の支出が収入の2倍以上になっている
  • 1日2回以上、銀行残高をチェックしている
  • 買い物のたびに、寿命が縮みそうになる

3つのうち1つでも当てはまったら、すぐに行動を起こしましょう。「1日2回以上の銀行残高チェック」は、お金への不安が極限に達している証拠です。週の支出が収入を上回っている状態は、確実に破綻へ向かいます。早急に収入を増やすか、支出を減らす対策が必要です。

労働環境の危険信号

  • 最低時給の保証がない
  • 求人情報と実際の労働条件が違う
  • 現地の人から避けた方がいいと言われる
  • 宿泊環境が劣悪である

労働環境の危険信号は、私が最も痛感した部分です。「最低時給の保証がない」職場は要注意。歩合制で収入が不安定になると、生活が成り立ちません。現地の人から警告を受けた場合も要注意です。私はブリスベンで日本人女性から警告を受けましたが、他に選択肢がありませんでした。

生活環境の危険信号

  • 国籍による差別的扱いを受けている
  • 安心できる環境にいないと感じる
  • キッチンやシャワーを自由に使えない
  • 同居人とのトラブルが絶えない

生活環境の悪化は、精神的な健康にも影響します。私が廊下で寝かされのは、差別的な扱いでした。「安心できる環境にいない」と感じた時点で、危険信号と捉えてください。

精神面の危険信号

  • SNSに愚痴や辛い状況ばかり投稿している
  • 日中にやることがなく、スマホをいじっている
  • 「日本に帰りたい」と毎日考えている

精神面の危険信号は、見逃しやすいものの重要です。私がFacebookに辛い状況ばかり投稿していましたのも、危険信号です。日中にやることがなく暇を持て余しているのも、収入が不安定な証拠。「日本に帰りたい」と毎日考えるようになったら、精神的に限界が近づいています。

情報収集の危険信号

  • 情報源が1つのサイトだけである
  • 現地の人とのつながりがない
  • 緊急時の連絡先や相談窓口を知らない
  • 海外キャッシング機能を調べていない
  • 複数の体験談を比較検討していない

情報収集の不足が、すべての失敗の原因でした。私は日豪プレスだけを信じて行動し、他の情報源を確認しませんでした。緊急時の連絡先や海外キャッシング機能を知らないのも危険です。複数の体験談を比較することで、失敗を避けられます。

まとめ:私の失敗体験を参考に

私が辛い体験を公開した理由は、私と同じ思いをしてほしくないからです。ワーホリには確かに楽しい側面もありますが、楽しいだけではないのが現実です。ネットでも良いので、何かしらの収入源を確保しましょう。現地での仕事が見つからなくても、オンラインでできる仕事があるかもしれません。

クレジットカードの海外キャッシングが行えるかもリサーチしてください。大切なのは「何とかなる」という気持ちです。私も所持金10ドルという状況から這い上がることができました。これからワーホリに行こうと考えている人は、複数サイトでの事前情報のリサーチを徹底してください。「最悪の場合はどうするか」まで考えておくのが大切です。

私の失敗体験が、誰かの役に立てば嬉しく思います。質問や相談があれば、お気軽にお問い合わせください。ワーホリで資金不足にならないための事前準備については、下記の記事で詳しくまとめました。ファーム選びのポイントや現実的な資金計画の立て方など、私の失敗から学んだ教訓を解説しています。

ワーホリで資金不足にならないための準備完全ガイド

【免責事項】
本記事は2018年10月〜11月の筆者個人の体験記録です。ワーホリ制度や労働条件、生活費は時期・地域・個人によって大きく異なります。金銭管理や就労に関しては専門家や公式機関にご相談ください。

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